塾長より新年のご挨拶です
新年明けましておめでとうございます。
朝から晩まで冬期講習中の理塾です。
今年の新年のご挨拶として、「勉強する理由」についてお話します。
さて皆さんは、なんのために勉強していますか?
少し勘のいい生徒なら「目標を叶えるため」と返答するでしょう。
それでよろしい。
では、皆さんは目標を叶えてどうなりたいでしょうか?
単に「目標が叶った~最高~!」と満足するだけでしょうか?
答えの前に、少し哲学のような話になりますが、我々は「毎日を生きています」よね。
ありがたいことに、今の日本は恵まれた環境にあるので、「今日は飢えて死ぬかと思ったけど、なんとか生き抜いて明日につながった」という人はほぼいなくなりました。
世界の中には、こういった国々もあるでしょうが、今の日本はそこまでではなくなった。
ですので、我々は毎日の飢餓状態を気にせず、もうちょっとレベルの高い生き方ができるわけです。
たとえば、「飢餓に怯えた状態」よりは「安定した暮らし」が、レベルの高い「毎日を生きる」という状態です。
これはわかりますよね?
では、すごくレベルの高い毎日を生きるという状態は何でしょう?
答えは色々あるでしょうが、塾長は「自分が興味のあることをした結果、周囲の人に感謝されて必要とされる状態で毎日を生きる」というのは、大変レベルが高く幸せな生き方だと思っています。
ですから、そのために勉強してほしい。
ただ、ひとつ忘れてはならないことがあります。
子供達は勘違いしやすいのですが、「学生の頃に必死に頑張って勉強したら、出世して偉くなって楽できる」というのは間違いです。
頑張って勉強すれば、当然、出世して偉くなるでしょう(すごく幼稚な物の言い方ですが・・)。
ただ、出世して偉くなっただけ、さらに頑張って努力する毎日が待っています。
極論すれば、決して楽になることなんてないんです(本当の意味では、楽ではないもののすごく楽しい毎日なのですが・・)。
なぜなら、人に感謝されて必要とされる立派な人なら、周囲が遊ばせておくはずがないのです。
能力と影響力がある人には、たくさん頑張ってもらって、もっと社会貢献してもらわないと、みんなが困るわけです。
だから、一生を通じて「楽になる」なんてことはない。
「昔は頑張ったけど、キリのいいところで楽をする」ことができるのは、言い換えれば、今は特に誰からも必要とされていない人です。
「必要とされていない」だけなのを、「今まで頑張ったから、これからは楽をしよう」と、うまく言い換えて誤魔化しているだけです。
そうなると、「今でも勉強が好きじゃないのに、ずっと頑張り続けるのは嫌だな」とか思う人もいるかも知れません。
適度なところで「もういいや」と言いたい人がいるのも、わからなくはありません。
でも、そう思うのは、きっと「しんどいことが楽しさに変わることを経験したことがないから」なんですよね。
努力が報われる瞬間というのは、大変甘美な世界で、本当に癖になります。すごく楽しい。
確かに「忙しさ」はあるけれど、それを上回る喜びがあれば、「楽しい」と思うことができるでしょうし、それはレベルの高い生き方だと思います。
ただ、努力した先にある喜びを知らなければ、しんどくなって途中で投げ出したくなったり、諦めたりしたくなる気持ちもわからなくはありません。
経験したことがないのだったら、全く理解できない話なのかも知れません。
だから、生きている世界も見えている世界も、毎日の生活の充実の度合いから全てに至るまで、人によってきっと全然違うのです。
理塾は、より高いレベルで日々暮らせる生徒を1人でも増やす学習塾になりたいです。
「自分が興味のあることをした結果、周囲の人に感謝されて必要とされる状態で毎日を生きる」というのは素晴らしいことですが、そういう人材を育てるのは最高に楽しいことだからです。
生徒諸君は今一度、勉強する理由について考え直してみましょう。
では本年もよろしくお願いします。